さいがわの雑記帳

思うこと。

姫路城由来の前橋の長壁様

 現在。ネットで色々な事を調べられる様になりました。

 調べたことを少々まとめてみたいと思います。


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下の写真はロイヤルホテル駐車場より

 

  群馬県庁からみると北西の位置に長壁神社が建っております。

 明治31年に前橋東照宮に合祀されたそうですが、跡宮としてもかなりのパワーを持っておいでの様です。

 この長壁様は1749年に姫路から入場した松平のお殿様が、「姫路の長壁神社の分霊を前橋城三の丸に祀った」と伝えられています。

 

 姫路といえばあの白鷺城ともいわれる「姫路城」で有名ですね。平成の改修も終わり今は白く輝いています。

 そのお城の一番上の階の天守閣に今でも祭られているのが「長壁様」で有ります。

 

 

  姫路での歴史 

 刑部親王藤原百川の讒言によりその地位を追われると、親王の王女であるという富姫も幼い頃より住んでいた姫山の地で薨去国司の角野氏がこの2人を守護神として姫山に祀って以来、代々の国司守護職からの厚い保護と庶民からも厚い尊敬を受けました。

 

 江戸時代の前には姫路城に妖怪が住んでいるということで、あの宮本武蔵が退治に行ったそうです。階段を登るにつれ怪現象が有りましたが刀を抜くそぶりを見せるとそれも無くなり、そのまま朝を迎えたそうです。そして気がつくと目の前に居た長壁様から妖怪を追い払ってくれた御礼として名刀を頂いたとか。

 長壁様も妖怪は恐かった様ですね。

  •  江戸時代のチョット前に、羽柴秀吉公に城下の町外れの播磨総社に降ろされました。
  • 16012年 天守閣に祭られる。池田輝政公の病気の原因と対策として。
  • 1639年 松平忠明公に城下の播磨総社に移されました。
  • 1649年 榊原忠次公に変わると又城内へ。この後二社併存
  • 1704年 榊原政邦公により竪町のお寺にも長壁様が祭られる
  • 1742年 榊原政岑公により竪町の長壁神社で「ゆかた祭り」が開催され現在でも賑わう
  • 1748年 松平明矩公により 長壁神社を正一位に。
  • 1749年 松平朝矩公が前橋城転封に伴い姫路の長壁様の分霊を現在地天神山にお祀りする。
  • 1749年 姫路城へ前橋より酒井公が入城する

 歴史をみると松平氏の時代に姫路城下にも祭られた事が判ります。かといって粗末に扱った訳ではなく、もしかしたら一般の民にもお参りして欲しかったのだと思います。

  それと姫路市で現在開かれている「ゆかた祭り」は、西日本最大のお祭りといわれてます。これも長壁様のお力だと考えられます。

 

  前橋での長壁神社 

 1749年 長壁様が松平のお殿様と前橋にお越しになりました。お社は本丸の南西部(裏鬼門)に置かれました。松平公はお城の外に祭るのが流儀らしい。

 1767年 利根川の流れでお城の土台が流され続けお城に住んで居られなくなり、川越へお殿様は引っ越ししてしまいますが、長壁神社はそのまま残されたそうです。

 その際長壁様がお殿様の夢枕に立ち「川越に一緒に連れて行って欲しい」といわれたそうですが、お殿様は城を守れなかったということで断ったという話も残っています。

 その後前橋は99年間陣屋支配になったそうですが、長壁神社を参拝する人は多かった様です。

  お殿様が居なくなってからの99年間、最後には生糸の輸出で儲けた商人達が協力しお金を出し合いお殿様を呼び戻しますが、長壁様の御利益だとも感じます。

 明治31年1月21日に前橋東照宮に合祀されますが、その後も地元の人からその祠を大切に守られています。