さいがわの雑記帳

思うこと。

昭和初期の虎が淵(前橋市)

 ネットで日本の古地図を発見出来ました。昭和初期頃です。

https://stanford.maps.arcgis.com/apps/SimpleViewer/index.html?appid=733446cc5a314ddf85c59ecc10321b41

 スタンフォード大学所有です。

 昭和初期の前橋市の地図↓

https://purl.stanford.edu/pc043ys3215

 桑畑ばかりですね(^^;)

 自分としては先日来より調べている虎が淵の堤防を良く知る事が出来ました。

 古地図↓

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現在の地図↓(少し重ねあわせました。上の写真と同じ場所です。)

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 前橋公園付近は全て川原?だった事がうかがわれます。

 利根川の流れが堤防によって見事に流れが変わっています。

 これが「安井与左衛門氏(安井 政章氏)」の功績によるものだと思われます。

群馬県前橋市|地域再発見 安井与左衛門効績碑(大手町三丁目)

 

 古地図を見ると当時中央大橋も群馬大橋もまだ建設されて居なかった事が判ります。

 無理矢理?流路を変えている堤防は中央大橋の下に有ります。

 その堤防の東に有る神社は前橋の東照宮

 その北にあるのは、「臨江閣」だと思います。正に入り江を臨む建物だった事と思います。

 

 

 

赤城山に松苗を植林したのは?

  この時期台風が来るたびに過去にあった台風災害を思い出します。

 

  1947年(昭和22年)のカスリーン台風は地元前橋に大きな爪跡を残しました。

  赤城白川の氾濫は赤城南麓の松ノ木を戦争時の燃料にする為に切り倒してしまったことが氾濫を大きくする原因の一つになったと聞いたことが有ります。

 

 この松は船津伝次平氏が植えたことが伝えられていますが、多分時期的に当時の治水家安井政章氏と一緒に植林したと思われます。

 ・・・というか、多分安井政章氏の助言だったのではないか?

 と。独り憶測する私です。

自家製自己流ジンジャエール


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 ジンジャエールは作れるということで、作ってしまいました。

 ネットでレシピが沢山載っているので有り難いデス(^^)

 

 自分が作ったのは、

・厚めに根生姜をスライスする

・それを広口のビンに入れヒタヒタになるくらいハチミツを入れる

・そうすると生姜のエキスが染み出してくる(三時間ぐらい?)

・その液にクローブとシナモンスティックを入れて少々寝かせる

・(レモンの絞り汁を加える)

・その液を三倍程度の炭酸で割って出来上がり

 

 とても上品であまり辛くないジンジャエールが出来ました(^_^)v

 でも。薬用効果はスゴイと思います。

 

 夏ばてにはとても効果が有ると思います。

冬場には炭酸水の代わりにお湯で、とても身体が温まると思います(^^)

 

 残った生姜はウイスキーにそのまま入れ少々時間を置くと、とても美味しい生姜酒になりました(^_^)v

 

お殿様不在時の前橋(厩橋)において あくまでも想像です

 昨年末以来神社仏閣巡りを何故かしている私です。

 地元の神社の由来等を調べるのが面白かったりしてます。

 

 前橋の伝説・歴史を調べるに当たり利根川河畔に立つ虎姫観音堂の「お虎」の伝説はとてもとても悲しく有りました。利根川が氾濫し城を放棄せざるをえない事になったのもお虎の祟りだとか。

 また、1749年姫路から松平のお殿様がお連れになった長壁神社の「長壁様」は、洪水から城を守れなかったという事で、1767年前橋に置き去りにされてしまいました。

 

 と。いうことで以下想像(^^;)

 

~~~以下物語風~~~

 

 『長壁様の独白』

 「無理無理無理!絶対に無理!」

 大水で崩れていく河岸の崖にはお虎の強い怨念が込められていました。

 いくらお殿様からの願いでも、大自然の力をも自分の見方に付けるお虎には、敵いません。

「少しお話だけでも」

「そういう事が有ったのですか・・・」

「お城が壊れちゃう」

「え?わたしおいてきぼり?!」

「川越に連れてって」

「エ~ン!川越に行きたいよ。誰か連れて行ってよ。エ~ン!」

 シクシク(?)泣く長壁様の声を聴いたお虎は我に返りました。

 自分の行いの為に泣いている人(神だけど)がいる。

 周りを見れば陣屋支配になりしょげ返っている民達。

 元は気立ての良い娘だったお虎さん。

 前橋が繁栄すれば皆に笑顔が戻ることにに気づき、復興に協力する事にしました。

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 写真長壁神社

 ~~~以上物語風~~~

 

 う~ん。

 自分にはお虎さんと長壁様が仲良くなったとしか思えません(^^)

 下記の治水事業の成功もこのお二方のお陰だと思ってます。

 

 前橋城の再興には利根川の治水が最大の懸案事項でしたが、1831年川越藩藩士 安井与左衛門(安井政章)氏の功績により流路が変わり河岸を浸食する事も無くなったそうです。この安井氏、飢饉の時には上司の反対を押し切ってまで藩の貯蔵米を領民に分け与えたそうです。

 
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今でもルナパークの飛行塔の側に顕彰碑が建てられております。

 死後70年経ってから前橋の有志に建てられた碑は大きく見事なモノです。

 ルナパーク。お虎が淵が有った場所といわれています。

 そこに堂々とした石碑。なんとなく当時の人の粋を感じました。

 

 

 そして、生糸の輸出で富を得た町民達、もちろん赤城山南麓には桑畑が広がっていたことと思います。

 99年ぶりにお殿様を迎えた領民も嬉しかった事と思いますが、長壁様こそ嬉しかったに違いないと思います。

 

壊れて行くだけの世界遺産

 長崎県端島。通称「軍艦島」 


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上陸出来るのはホンの少しだけ(。-ω-)

姫路城由来の前橋の長壁様

 現在。ネットで色々な事を調べられる様になりました。

 調べたことを少々まとめてみたいと思います。


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下の写真はロイヤルホテル駐車場より

 

  群馬県庁からみると北西の位置に長壁神社が建っております。

 明治31年に前橋東照宮に合祀されたそうですが、跡宮としてもかなりのパワーを持っておいでの様です。

 この長壁様は1749年に姫路から入場した松平のお殿様が、「姫路の長壁神社の分霊を前橋城三の丸に祀った」と伝えられています。

 

 姫路といえばあの白鷺城ともいわれる「姫路城」で有名ですね。平成の改修も終わり今は白く輝いています。

 そのお城の一番上の階の天守閣に今でも祭られているのが「長壁様」で有ります。

 

 

  姫路での歴史 

 刑部親王藤原百川の讒言によりその地位を追われると、親王の王女であるという富姫も幼い頃より住んでいた姫山の地で薨去国司の角野氏がこの2人を守護神として姫山に祀って以来、代々の国司守護職からの厚い保護と庶民からも厚い尊敬を受けました。

 

 江戸時代の前には姫路城に妖怪が住んでいるということで、あの宮本武蔵が退治に行ったそうです。階段を登るにつれ怪現象が有りましたが刀を抜くそぶりを見せるとそれも無くなり、そのまま朝を迎えたそうです。そして気がつくと目の前に居た長壁様から妖怪を追い払ってくれた御礼として名刀を頂いたとか。

 長壁様も妖怪は恐かった様ですね。

  •  江戸時代のチョット前に、羽柴秀吉公に城下の町外れの播磨総社に降ろされました。
  • 16012年 天守閣に祭られる。池田輝政公の病気の原因と対策として。
  • 1639年 松平忠明公に城下の播磨総社に移されました。
  • 1649年 榊原忠次公に変わると又城内へ。この後二社併存
  • 1704年 榊原政邦公により竪町のお寺にも長壁様が祭られる
  • 1742年 榊原政岑公により竪町の長壁神社で「ゆかた祭り」が開催され現在でも賑わう
  • 1748年 松平明矩公により 長壁神社を正一位に。
  • 1749年 松平朝矩公が前橋城転封に伴い姫路の長壁様の分霊を現在地天神山にお祀りする。
  • 1749年 姫路城へ前橋より酒井公が入城する

 歴史をみると松平氏の時代に姫路城下にも祭られた事が判ります。かといって粗末に扱った訳ではなく、もしかしたら一般の民にもお参りして欲しかったのだと思います。

  それと姫路市で現在開かれている「ゆかた祭り」は、西日本最大のお祭りといわれてます。これも長壁様のお力だと考えられます。

 

  前橋での長壁神社 

 1749年 長壁様が松平のお殿様と前橋にお越しになりました。お社は本丸の南西部(裏鬼門)に置かれました。松平公はお城の外に祭るのが流儀らしい。

 1767年 利根川の流れでお城の土台が流され続けお城に住んで居られなくなり、川越へお殿様は引っ越ししてしまいますが、長壁神社はそのまま残されたそうです。

 その際長壁様がお殿様の夢枕に立ち「川越に一緒に連れて行って欲しい」といわれたそうですが、お殿様は城を守れなかったということで断ったという話も残っています。

 その後前橋は99年間陣屋支配になったそうですが、長壁神社を参拝する人は多かった様です。

  お殿様が居なくなってからの99年間、最後には生糸の輸出で儲けた商人達が協力しお金を出し合いお殿様を呼び戻しますが、長壁様の御利益だとも感じます。

 明治31年1月21日に前橋東照宮に合祀されますが、その後も地元の人からその祠を大切に守られています。

 

 

比翼塚

 二年前くらいに前橋に「長壁神社」が有ることは知っていましたが、今年に入って数度お参りしていたら、神社のすぐソバで仕事の依頼が有りました(^^;)

 これも何かの縁だということで、あれこれ長壁神社について調べてみたら少しの偶然?も発見することが出来て少々驚いてます(^o^) コレは後ほど。

 

 姫路の長壁様を調べていた時のこと「比翼塚」の文字が目に入り調べてみました。

以下wikiより

比翼塚(ひよくづか)は、愛し合って死んだ男女や心中した男女、仲のよかった夫婦を一緒に葬った塚。墓。めおと塚。 悲恋と共に伝わる例が多い。一緒になれなかった二人を死後、一緒に祭ったモノも多く、古事記の時代から江戸時代のものまで各地に残る。」

 と、有りました。

 

 正に今、自分が探している形態の碑・墓でした。

 これも長壁様のお陰だと思います。

 

 いくつかの有名な比翼塚を調べてみたら悲しい話ばかり(>_<)

 特に下記の比翼塚の謂われには涙しました。

http://www.sendaimiyagidc.jp/sight_pps/d_tourist.php?id=0000000334

 

今の時代には当てはめられないとは思いますけど・・・